旧羅典神学校の前を通り抜けるとグラバー園への入口がありました。 受付まで行くのは坂道を上がらないといけませんが、エスカレーターや動く歩道ができていてラクに行けるようになっています。 |
動く歩道から長崎の街並みを見ると、小高い山のような上の方までびっしり建物が建っているのがよくわかりました。坂の街といわれるだけあることを実感。 それにところどころに洋風の建物が建っていて長崎らしさをここからも感じることができました。 |
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この談話室を見たきーまま様いわく 「鳩山さんの別荘みたい」(笑) |
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『旧ウォーカー住宅』 レポを作っていて気づきました。屋根が瓦で、日本様式の建物になっています。そして内部にある家具やイスは今のものと比べると小さく、当時の人達は小柄だったのだなと思いましたが、それにしても小さかったです。 |
グラバーの妻のツルは、接客の時には蝶の紋の着物を身に着けていたことから外国人から“お蝶さん”と呼ばれていたそうで、歌劇マダム・バタフライのモデルと言われています。 そのマダム・バタフライを作曲したプッチーニと、そのオペラでヒロイン蝶々婦人を何度も演じ、世界的に有名にしたという日本人オペラ歌手三浦環(みうら たまき)の像がありました。 |
三浦環像の前の広場にはテーブルとイスが並べられていて、17:00〜ビアガーデンが開催されるようになっていました。時計を見ると17:30くらい。グラバー邸を見た後に戻ってこようということに。 広場からグラバー邸へ向かう階段からも長崎の港がよく見えました。『旧三菱第2ドックハウス』のところでも見えたのですが、大きな船が停泊していてここでも「なんだろう?」と言いながら階段を下りました。 |
国の重要文化財『旧グラバー住宅』です。 | |
グラバー邸内には、当時の暮らしぶりを感じられる家具や、グラバーの経歴、グラバーが使っていたトランクやステッキ、イスなどの遺品、グラバーや妻ツル、家族との写真などいろいろなものがありました。 |
グラバー園といえば、園内のどこかにあるというハート型の敷石が話題になっています。これに触れると恋がかなうとか、2つ見つけると良いことがあるなどと言われているようですが、一つはこの旧グラバー住宅の庭の方位盤の下にあるということですぐわかりました。 ちと様が「あれはあとから埋めてあると思うんですよね〜」とおっしゃっていました。私も以前訪れた時にはそういう話は聞いたことなかったですね〜(笑) |
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ビアガーデンはグラバー邸横の階段を上ったところにありました。 「暑いからビールがしっかり冷えているといいですよね」と言いながら広場へ。 冷えたビールはとってもおいしかった!最初は少なかった人も観光客や会社帰りのサラリーマンなど徐々に増えていきました。話しながら飲んでいるうちにきれいな夕焼けが見え始めました。サラリーマンの中には階段のところでその夕日に向かって飲んでいる人も(笑) |
夕食の時間もありましたし、カステラ屋さんにも行かないといけないからとグラバー園を出ることに。 |